自分主導で交渉や物事を動かすために必要なものとは

周囲をねじ伏せる豪腕力

 

 

腕力とは、腕の力のことを言っているわけではない。

 

これはあくまでも比喩。

 

 

何か別の言い方もあるのかもしれないが、僕はこの概念について他に表現する言葉を持たないから、
ひとまずは「腕力」と呼称して話を進めさせてもらう。

 

 

観念的な面から話をしていくのは止めておく。

 

かえってニュアンスが捉えにくくなってしまうからだ。

 

 

以下、簡単な事例を挙げて説明していこう。

 

 

Aさんは今、ある人物達との間で話し合いをしている。

内容はちょっとしたトラブルの責任についてだ。

 

場所は近場のファミレス内。

話は停滞していて、一向にまとまる気配がない。

 

相手方の感情的な責任追及が大きすぎるからだ。

 

いくら話のまとめに入ろうとしても、
相手方とその取り巻き達が騒いで仕切り直しにしてしまう。

時間が遅いからまた改めて、といっても、
誠実さが足らない、などと非難してうやむやにする。

 

いつまでたっても終わりの見えない話し合いに、
Aさんはすっかり疲弊してしまった。

 

 

こういった場合、あなたならどうする。

 

 

 

一般的な観点から考えるのであれば、

 

・改めて順繰り話をしていく

・多少損をしても良いから相手の言い分に従う

・弁護士を雇う

 

恐らく、このあたりの手段になるだろう。

 

 

 

僕なら、どうするか。

 

 

そうだな、僕がAさんの立場なら・・・

 

自分側の条件を一気に相手に話した上で、
トイレに行ってくるから戻ってくるまでに考えておくように、と告げて席を立ち、

 

 

そのまま家に帰るよ。

 

 

 

当然、相手は激昂するだろう。

 

でも、話がつくまで動いちゃならない、今ここで話をつけなければならない、
そりゃあ、そもそも相手側の勝手な都合でしょう。

 

冷静に考えれば、それに従わなければならない理由なんてないはずだ。

 

 

急に仕事が入ったからとか、いくらでも言い分はある。

 

 

もしかしたら、訴える云々の話になるかもしれない。

 

しかし、こんな話の通じない連中に、
司直に願い出られるほどの正当性などハナからあるとも思えない。

 

逆に言うと、そういったプレッシャーや、
なんで勝手に帰った!なんていう相手の言い分に負けてしまう内は腕力が足らないのだ。

 

 

 

帰るのは自分の勝手。

 

ちゃんと話し合いの場自体は設けている上に連絡も取っているのだから、
非難をされる筋合いはない。

 

 

僕なら、文句なんか言わせない。

 

 

 

そうしなければならない、なんて、一体、誰が決めたのか。

 

相手が勝手に敷いたルールなんかに、クソ真面目に従ってやる必要なんてないんだよ。

 

 

 

鉄火場では、そういう便所の窓から抜け出すようなメンタリティも必要なんだ。

 

特にこうやって相手がいちびってきているような場合では、
多少、強引なやり方をしてでも一度、場を流してしまった方が良い。

 

 

 

え?

 

トイレにすら立たせてもらえないだって?

 

 

 

じゃあ、その場で漏らせば。

 

 

 

そこはファミレス。

 

誰かが異変に気付いたら、警察を呼んでもらえるかもしれない。

 

 

便所にすら自由に行かせず、自分優位の示談を迫ったなんて話にでも波及したら、
最悪、相手の行為は監禁、強要になる可能性だってある。

 

しかも状況証拠に過ぎないが、現に漏らしているという事実もあるわけで。

 

 

少なくとも、何事もなく解放とはいかないだろう。

 

そうなれば、今後は今までみたいな勝気で話をすることもできなくなるだろうね。

 

 

 

なんか、お下品な話になってしまって申し訳ない。

 

僕はどうも追い詰められると、思考がシモに走るクセがあるらしい。

 

 

ただ、シモ系の手段は相手が余程の気狂いでもない限りは、
大抵、もれなく動揺するんだよ。

 

だからいざという時のために、
せめて、ゲロくらいは自由に吐けるようになっておいた方が良い。

 

 

それが膠着した状況を壊す、一瞬のスキに繋がるわけ。

 

 

そのスキをついて、相手を強引に自分の風下に立たせる力。

 

これが僕の言う、腕力という概念の内の一つなのだ。

 

 

 

真剣に人生をやっていれば、
こういった考えや行動が必要な局面にぶち当たることは実際にある。

 

そういった状況下で必要なのは知識や理屈で結論を出すことではなく、
今をどう動かすべきなのか、そこに対して一足飛びで飛んでゆける行動力なのだ。

 

 

たしかに知識があれば、ある程度、考えを先回りすることはできる。

 

しかし、世の中というものは理屈で動いているわけではない。

 

 

理屈とは言わば、人に説明をするための後付けだ。

 

 

そういった世界のみから物事を断定、判断してしまうのは、
単純にそういうひりついた状況を実際に経験したことがないからだろう。

 

 

一度でも経験すれば分かる。

 

物事を動かすのに本当に必要なのは理路整然とした理屈などではなく、
結果に対する率直な強引さだと、ね。

 

 

 

知っている「だけ」では、扉は決して開かないのだ。

 

2024.12.08 wrote

吉田 重信

 

 前ページ 「サマの有効性と注意点」

次ページ 「危機を察知するカン」 

 

error: Content is protected !!