天から降ってくる運と自分の力で引き込む運は別物

降ってくる運と引き込む運

 

 

前章にて、運には天から降ってくるようなものと実力で引き入れるものと、
大きく分けて二つあるということはすでに述べた。

 

これらの違いは、単純に、自分に主導性があるか否かの話だ。

 

主導性のない幸運、すなわち“降ってくる運”は、
特にどうにかしようなどと思わずとも、勝手に向こうからやってくる。

 

 

個人的な体感での話だが、なにも考えていないし、なにも追いかけていない。

そういう、余裕のある時に降ってくる傾向が強い。

 

パチンコ・パチスロなんかは、勝とう勝とうと目ん玉を血走らせているような時よりも、
気持ちに余裕のある時に勝つ場合が多いだろう。

 

技巧的な要素など一切ない、敢えて言うのであれば、
精神的な面などスピリチュアル的なものの作用によって降りてくる幸運。

 

これを僕は“降ってくる運”と呼称し、後述する“引き込む運”とは別物と考えている。

 

 

ちなみに、パチンコ・パチスロのような機械を相手にする勝負事は、
運に技術介入できる機会が極端に少ないものだから個人的にはお勧めしない。

 

そういった類の勝負事はできうる限り避けるということも、
運を引き込むための大切なポイントであるということはよく覚えておくべきだ。

 

 

これに対して“引き込む運”というものは、
己の腕力の作用によって技巧的に発生させる好調子を指す。

 

人によっては“流れ”だとか言ったりするような場合もあるだろう。

 

 

作用によって、と書いたが、これは意図的に、というのとは少々ニュアンスが違う。

あくまでも、腕力は運を引き込むためのきっかけに過ぎない。

 

腕力というものの具体的な作法については、後の章にて論じていくのでここで細かい話まではしないが、
ひとまず、ここではなにかしらの技巧的な方法論が絡むものだと理解しておけばよろしい。

 

 

当たり前の話だが、人生は常勝とはいかない。

 

自然に身を任せて生きていれば、運は常に上昇、下降を繰り返し、
良い時期が続いていれば、いつかどこかで地雷を踏み抜くこともある。

 

自分からはなにもせずに、ただ生きていたらそれが当たり前なのだ。

 

だからこそ、落ちることはあっても破綻はさせないために、
時には技術をもって対処するということも覚えておかなければいけない。

人生では、そういう場面が要所要所で必ずやってくる。

 

 

天から降ってくるような幸運が来たのであれば、それを享受するのも結構。

 

だが、間違ってもそれに身を委ね通して、
その後の人生の“流れ”を己の意思と力で引き込む努力を怠ってはいけない。

 

 

なにもしていないのにツいてきたのは、運が強いからじゃない。

 

ただ単に、運に翻弄されているだけなのだ。

 

2024.02.06 wrote

吉田 重信

 

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