運は必ず落ちる時が来る

運は必ず落ちる時が来る

 

 

運は引き込むものと論じたゆえ、
方法さえ知れば常に運を引き寄せられると考えてしまう方々もいるかもしれない。

 

しかし、それは違う。

わかっているとは思うが、世の中はそんなに甘くはないのだ。

 

 

たしかに引き込むための技巧的な方法論は存在する。

 

しかし、それはあくまでも着火剤のようなもので、
基の燃焼物となるものがなければ、いくら技を繰り出したところで運はついてこない。

 

燃焼物となるものとは元々、自分自身が自然に持っている運。

 

これはいわば「基本運」とも言うべきもので、
己の体調や立場、気の持ちようによって、常に人生のバイオリズムかの如く、上がり下がりを繰り返す。

 

 

そして、それが「からっケツ」の状態に陥る場合もある。

 

 

積み上げてきた物事が無に帰したり、気持ちを入れてやってきたことが裏切られたり、
恐らく非常に辛い思いをすることになるだろう。

 

しかし、こういった時期、間違っても無理に運を引き戻そうとして強引な技を繰り出したり、
負けを取り返そうとして大きな勝負に出ようとしたりしてはいけない。

 

かえって、よりこっぴどい目に遭う可能性が高いからだ。

 

 

こればかりは、そういう時期が来たのだと割り切るしかない。

 

それに備えるための冬支度というものもちゃんとある。

 

 

「冷えた」

 

そう感じたら、潰れる前に引くことも戦略なのだ。

 

 

それを感じ取るための「勘」を養っておくことも重要だろう。

 

まぁ、これに関しては、上がり下がりを数多く経験する以外に方法はないと思うがね。

 

 

 

あと、一つ。

 

異性は運に強烈な作用をもたらす要因となりうるものだ。

良い意味でも、悪い意味でも、ね。

 

 

運の落ちている時は、とにかく人が離れていく。

 

万が一、そういった事態に直面した際、真剣に再起を狙っているのであれば、
決して自ら追い縋るようなことをしてはいけない。

 

 

勝負事から足を洗うというのであれば、それでもいい。

 

 

己の人生だ。

 

そこまでは、僕がとやかく言うことじゃない。

 

 

ただ、消え失せ、去ろうとしている運に縋ってしまった人間は、
引き込むための腕力を手にすることなんて、今後、二度とないだろう。

 

 

落ち目は誰にでも、必ず、やってくる。

 

調子のいい時に強気でいられるのは誰だって当たり前じゃないか。

 

 

人の真価が問われるのは、落ち目の際の立ち回り。

 

世間が求めるのは「不運の訴え」などではなく、新たな「開花」と「可能性」なのだ。

 

 

固定や固執は、死と同義だと言っていい。

 

2024.02.06 wrote

吉田 重信

 

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