危機察知能力を磨いて勝負所を見極めよ

危機を察知するカン

 

 

前項で説明した腕力に関しては、使い所を見極めも重要だ。

 

サマの項目でも最後に少し触れたが、腕力ありきの勝負ばかりに傾倒しすぎると、
そのうち誰も自分に運を持ってきてくれなくなる。

 

 

そうなると、もう今後は「他人の運を引っぺがす」といった方法でしか、
己に運を引き入れることができなくなってしまう。

 

 

そういう状態に陥った人間の末路は、悲惨だ。

 

いずれ、社会から害悪として排除されることになるだろう。

 

 

だからあくまでも腕力はここぞという勝負に出るときの「顔」として、
普段の自分とは別人格であるくらいの差別化を図っておくようにした方が良い。

 

そのためにも勝負所、すなわち、
それの使い方と使うべき場面を察知するカンを日頃から磨いておく必要がある。

 

 

はっきり言うが、危機察知能力に関しては普段、気の小さい者ほど能力が高い。

 

中途半端に肝が据わっているようなタイプでは、鈍感で気付けないのだ。

 

 

この危機察知能力とは勝負所という、いわば「攻め」の場を察知するのはもちろんだが、
それと同時に「守り」に転じるポイントを把握するためのものでもある。

 

自己防衛に関しちゃあ、臆病者の右に出る者はいないだろう。

 

 

この章を設けたのは攻めの各論を語る前に、
まず、守りに対する高い意識を持ってもらいたいと思ったからだ。

 

いわば、「逃げの腕力」だね。

 

 

なにかを切り開いていく上で攻めの姿勢は欠かせないものだが、
世の中にはそういった正攻法では決して卓を囲んではならない人種というのも存在する。

 

こういう連中にとって、ルールや約束なんてものは相手を縛り付けるための方便でしかなく、
連中から見たら破る為に存在するものだと言っても過言じゃない。

 

 

カタギの人間とは、そもそもの立っている土俵自体が違うのだ。

 

形式上では卓を囲んでいたとしても、それは最早、卓ではない。

 

 

餌場だよ。

 

卓を囲っていると思っているのは、喰われる立場の人間だけだ。

 

 

だからそういう輩とは、初めから卓を囲むこと自体を避けるようにしなければならない。

 

 

 

そのための危機察知能力。

 

逃げに対する強引さも、運を引き込む腕力の内ということだ。

 

 

 

別に勇気を持って戦うことを否定するわけじゃない。

 

全てを賭けて勝負しなければならない場面だってあるとは思う。

 

 

ただ、カタギのか細い腕力ではその橋は渡りきれない、と言っているのだ。

 

 

 

「表出ろ」と言われたからって、バカ正直に後をついて行っちゃあダメだよ。

 

 

恐らく自爆覚悟で突撃なんかしても、
自分だけ自爆して相手には無傷で逃げられるような目に遭う。

 

 

無論、そういった連中に対して強引に決着をつける手段がないわけじゃないけれど、
それはカタギの手段としては禁じ手。

 

それを推奨してしまったら、このコンテンツもただの犯罪者養成講座になってしまう。

 

 

こういった場合は、初めから逃げの一手を採るのが正解だ。

 

 

 

「逃げ」は恥なんじゃないかって?

 

 

たしかにそういう意見は間違いじゃない。

 

 

しかし、場数を踏んでいけば、
メンツを立たせた上で逃げ切る技というものが、いずれ必ず身につく。

 

 

逃げるのは痛い。

 

しかも、その痛みは大抵、後になって耐え難い形でやってくる。

 

 

痛いのに耐えられないから、必死になって対策を考えるようになる。

 

 

 

逆に言うと、それが身についていない内は無様であっても逃げた方が良い。

 

人はプライドとメンツで生きる生き物だが、それでは当面の腹は膨れないのだ。

 

 

 

特に若いうちはヤバいと思ったら、逃げろ。

 

そして、生き残った後で死ぬほど後悔して苦しんだらいい。

 

 

 

腕力とは、そういった己が承認しがたい行為を数多く経験することによって身につく、
己の生き様への執着を指す言葉でもあるのだ。

 

 

 

次章からは「攻めの腕力」に視点を切り替えて、まず精神的な面から話を進めていく。

 

2024.12.09 wrote

吉田 重信

 

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