自分の決断と行動に命を預けられるか

魂が問われる、その刹那

 

 

なにかを動かし、変えるには決断と行動が必要不可欠だ。

 

ただし、実際に行動を起こすからにはそれなりの負荷も当然、つきまとう。

 

 

だから、震える。

 

 

その行動が、世間にまだ浸透していないような新手である場合は、特に、だ。

 

 

大抵の人間はそういったプレッシャーに耐え切れず、
頭の中で想像、妄想をするだけで実際に行動を起こすまでには至らない。

 

 

これは仕方のないことだ。

 

この手の行動は絶壁から飛び降りる行為に近いからね。

 

 

しかし、それでは運がついてこない。

 

正確に言うと、運が淀み、腐る。

 

 

それは後生大事にしていては、活きないのだ。

 

 

 

希望や理想を思い描くだけならば、誰にだってできる。

 

決断をすること自体も、気持ちの上だけであればそんなに難しいことではない。

 

 

しかし、運を引き込み、爆散させるためには、
その決断に己の身を投げ打ってみせるだけの器量も必要なのだ。

 

 

「覚悟」とは違う。

 

これはそんな高尚なシロモノじゃあない。

 

 

己の決断を信じ、それに身を捧げる器量。

 

世間一般では、それを「自信」と称したりするのかもしれないが、
僕はそういう表現の仕方は少々、ズレていると思う。

 

 

 

自信なんか無くても良い。

 

 

ただ、己自身への渇望さえあれば良いのだ。

 

 

 

その渇きに一身を投じられる決断力と行動力。

 

 

僕は、と呼称する。

 

 

 

繰り返しになるが、「覚悟」とは違う。

 

マトモな脳みそであれば、そんな覚悟なんかできるわけがない。

 

 

死にたがりというのであれば話は別だが、
なにかの見返りを得ることをバーターに賭けた上での判断とは別領域の話だからだ。

 

 

結果的に世間から評価を受けたりすることもあるが、
これは初めから公に是認、肯定を受けるようなものでは断じて、ない。

 

我か公かと問われれば、間違いなく我の世界の話なのだ。

 

 

 

公の事なんか結果論に過ぎない。

 

自分がそうしたいから、そうする。

 

 

 

いや、そうしないと気が済まない。

 

 

たとえその決断が仇となり、取り返しのつかないなにかを失うことになったとしても。

 

 

 

そういう実現可能性と引き換えにした、破滅への承認でもある。

 

 

 

目的のために、己を省みず、図らず。

 

その強直さが、結果的に他の追従を許さない強烈な運を引き寄せる。

 

 

 

つまるところこれは、己の使いきりどころを承知しているかどうかの話なのだ。

 

 

 

「魂」とは、些か抽象的過ぎる物言いではあるが、
この気位を表現する言葉が他に存在するというのならば、ぜひとも教えてもらいたい。

 

2024.12.11 wrote

吉田 重信

 

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